旅路の果て―モンゴメリーの庭で(メアリー・フランシス・コーディ) - レビュー
お勧め度★★★★☆
「旅路の果て―モンゴメリーの庭で」は、
「赤毛のアン」で有名なルーシー・モード・モンゴメリの、
最晩年の様子を、一人の少女の目を通して描くフィクションです。
原題は"Lucy Maud and Me"。
邦題となっている「旅路の果て」は、
モンゴメリが六十歳で移り住んだトロントの家に付けた名前
「旅路の果て荘(Journey's End)」からとられています。
ローラという名の架空の少女が、
トロントの祖父の家に泊まりにくるところから、
物語が始まります。
ローラは、向かいの家の奥さんが、
「赤毛のアン」や「ストーリー・ガール」の作者、
ルーシー・モード・モンゴメリであると知って興味を惹かれます。
やがて、彼女の庭仕事を手伝うようになったローラに、
モンゴメリは心を開き、
子どもの頃のこと、本のこと、夫のことを、
ぽつりぽつりと話し始めるのでした。
内容的には、ルーシー・モード・モンゴメリの伝記ですが、
架空の少女の目を通して語っているのが、
この本の特徴です。
幸福ではなかった晩年のモンゴメリの様子が、
リアルに浮き彫りにされています。
読みやすく興味深い一冊です。
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東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章(山本史郎) - レビュー
お勧め度★★★☆☆
「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」は、
「完全版・赤毛のアン」の翻訳者でもある東大教授の山本史郎が、
大学で行ったゼミ形式の授業を本にまとめたものです。
学生と教授の会話を載せるなど、
楽しそうな授業の様子が伝わってくる内容になっています。
タイトルとは裏腹に、様々な英文学が取り上げられていますが、
4章と5章で、「赤毛のアン」について論じられています。
特に、「赤毛のアン」第37章のかなりの部分が、
村岡花子訳では省略されていることについて、
原文と村岡訳が比較され、その理由が考察されています。
東大の教授で「赤毛のアン」を翻訳したことがあるからといって、
正確に著者や訳者の心理を読み取れるとは限りませんし、
「完全」な翻訳が出来るとも限りませんが、
授業としては、興味深い内容となっています。
勿体をつけて始めたしょっぱなのところから、
「アヴォンリー」の綴りが間違っていたりするところは、
ご愛敬でしょうか。
章立ては以下のとおりです。
- 1 場面のポイントを読み取る――駅長はなぜ孤児を隠していないのか?
- 2 伝統を読み解く――主人公はなぜ「押し入り」なのか?
- 3 英語で遊ぶトールキン――ユーモアはファンタジーを破壊するか?
- 4 『赤毛のアン』の謎――村岡花子はなぜ「マリラの告白」を訳さなかったのか?
- 5 『アン・オヴ・グリーン・ゲイブルズ』の謎――モンゴメリーはなぜ「マリラの告白」をカットしなかったのか?
- 6 語り手の謎――語っているのはどんな人?
- 7 さまざまな視点――笑うべきか泣くべきか、それが問題だ!
- 8 名作と映画――映画はどこまで原作を裏切るか?
- 9 プロットを評価する――『ジェイン・エア』はオカルト小説か?
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